[6] コンサート第2夜 

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■ オフミ2

 今夜のオフミはまた別の人の主催によるもので、今回は空港まで迎えに来てくれた人たちと一緒だった。
 店にたどり着くと、運転手だった彼女が飛んできて、「昨日はどうだった?」ととても嬉しそうに聞いてくれた。彼女の表情を見ただけで、私がブリュノと会えたことを、彼女がとても喜んでくれているのがよくわかって、それが嬉しかった。
  「ブリュノはとても優しかったよ〜〜。でも、緊張しすぎて、写真頼むのも、サインねだるのも忘れちゃったよーー」と笑って言ったら、彼女も笑っていた。
 コンサートはどうだったか、と聞かれて、そりゃあもちろん素敵だった、でも席がねー・・・と、昨夜のぼやき(笑)を少々彼女に語ると、彼女は別の人に「ちょっとちょっと、あなたの持ってるチケットはどうだったっけ?」と言い、一枚のチケットが私の隣に座っている彼女のところに回ってきた。

 それはどういうわけか知らないが、余っているチケットだ、と彼女は言った。そして、それは私が持っている席よりずっといいものらしい。私のと交換してくれるという。・・・いいんだろうか・・・?
 いいわよ、だって誰のものでもないんだもの、と彼女。
 恐る恐る私はそのチケットを手にした。コンサート会場の、1階真ん中あたりの席らしい。2階席後ろのほうより、はるかにいいだろう。
 こんなラッキーなことがあっても、いいんだろうか・・・?


■ コンサート 二夜目

さあ、いよいよ会場内へ。

 席に座って、すでに座り始めているオーケストラを見ると・・・顔が見える♪(笑)オペラグラスで見てみると、おお、アップだ♪
 昨夜と同じく、女性のアナウンスで始まり、そしてブリュノが入ってきた。ああ、ブリュノだ〜〜〜〜顔が見える〜〜〜〜!ブリュノがしゃべってる、ブリュノが笑ってる〜〜〜♪

 今夜のブリュノは間違えずにちゃんと指揮者を紹介してから引っ込んだ。ちゃんと学習しましたね(笑)。
 曲目は昨日と同じ。でも、昨日よりずっと落ち着いて聞いていられる。もう、うるうる泣いたりもしない。やはり席の違いか、音響もずっとよく響いて、ブリュノの声とオーケストラの音色を存分に味わうことができた。これは二日目の余裕でもあるんだろうか。

 どの曲でだったかは忘れたけど、曲の紹介の時に、どうやら曲名を忘れてしまったらしいブリュノ、顔が赤い・・・!か、かわいい・・・(笑)。もっとも、この会場は客席最前列にヒーターがあり、そのすぐ近くにいるブリュノはだいぶ熱かったらしく、ちょっとほっぺは赤めだったけどね。

 そして、「Miserere」のラストあたりで、まだ曲が終わってないのに拍手がぱらぱら、しかもそれが2回。きっともう曲が終わったと思って拍手しちゃったんだろうし、それだけ歌がよかったということだろうし、拍手した人たちが悪いわけじゃないけど・・・録音には不可。再アンコール曲の一つはMiserereに決まりね、と曲が終わるなり思った(笑)。



Imagine

このコンサートに来る前に読んだ新聞La Presseに、一夜目の記事があった。好感度はとても高く書かれていたけど、一つ、「Imagine」だけは否定的だった。ノエル・コンサートには不向きな歌ではないか、と。

 少し遡るが、ニューヨークのテロ後、アメリカではこの「Imagine」を流すことが避けられている、というような日本の新聞記事を読んだことがある。それが本当かどうかはわからないし、一部だけの話なのかもしれない。でも、もしそれが本当なら、いくら時が流れているとはいえ、こういう歌に抵抗を感じる人もいるだろう・・・ということは、少なからず想像していた。

La Presseの記事を読んでからこの歌を聞くと、「天国がないって想像してごらん」「宗教もないって」というこの歌詞は、キリストの生誕を祝うクリスマスに、そしてカトリック教徒の祈りの場であるノートルダム・バジリカにはふさわしくないと言われたらそうかもしれない、と思った。

 たぶん、選曲の段階で反対意見はある程度あったに違いない。例え反対意見がなくとも、反感や抵抗感を抱く観客がいるだろうことは、容易に想像できただろう。でも、それでもブリュノはこの曲を選んだのだ。強い意志を持って。ブリュノの勇気にあらためて尊敬の念を抱いた。愛と平和をうたうのに、とてもふさわしい歌だよね、ブリュノ。
 この夜、この歌の後にだけ泣いてしまった。


■ ブリュノ・ペルティエへの道

 そして、前夜と同じくブリュノは最後に「Adeste fideles」を歌った。La Presseの記事によればノエル・ソングとしては最も古い部類の13世紀の曲だそうだ。この夜、ブリュノは前夜に増して高らかに、力強く歌い上げた。なんてブリュノの声に合っているんだろう。この曲の作者は、21世紀にブリュノ・ペルティエという歌手が存在することをを予見して、この歌をブリュノのために書いたのではないか、そう思わせるほどのブリュノの歌だった。

 ブリュノはアンコール曲Minuit Chretienも力強く歌い、そして再アンコールの時間になった。
 「熱いなあ」と言って、ブリュノはロングジャケットを脱いだ。そして、指揮者シモンにも脱がせ、それからオーケストラのミュージシャンたちにも脱ぐように声をかけた。
 再アンコールの曲は、この日は舞台でシモンとしばし相談。二人して観客に背を向け、ぴったりと体をくっつけて話し合っている。なんだかそのぴったりぶりがおかしい。
 再アンコールは「Joyeux Noel」、そして「Miserere」、やっぱりね(笑)。
 とても素敵に歌い終えた後、ブリュノはシモンの上着を彼に返却し、そして舞台を去っていった。

 コンサートが終わっても、観客はしばらくみんな歓談していた。舞台ではもう撤収作業が始まっていたが、長らくブリュノがコンサート中に何度も飲んでいたミネラル・ウォーターがぽつんと残っていた。あ・・・ブリュノが飲んだお水(笑)。


コンサートの翌日のノートルダム・バジリカ。前夜ブリュノはここで歌った。
 すべてが終わった。不思議と寂しさは感じなかった。ケベックに来る前は、きっとコンサートの終わりかけるあたりで、「終わって欲しくない」って思うだろうな、と想像していたが、あまりそうは思わなかった。ブリュノの歌は強く体の中に残っていて、満足感でいっぱいだったのかもしれない。

このサイトを始めた時、サイト名は「ブリュノ・ペルティエへの道」だった。2年半、生でブリュノを見ることを夢見て、この道をたどってきた。そして、その道の先に、ブリュノがいた・・・。

ブリュノが歌い続ける限り、私の道は果てしなく続く。


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終わり

「雪、光、もしくは聖夜」 (ケベック旅行記)  

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Bruno Pelletier Japon --- Bruno, Bleu, Basilique 6