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Imagine このコンサートに来る前に読んだ新聞La Presseに、一夜目の記事があった。好感度はとても高く書かれていたけど、一つ、「Imagine」だけは否定的だった。ノエル・コンサートには不向きな歌ではないか、と。 少し遡るが、ニューヨークのテロ後、アメリカではこの「Imagine」を流すことが避けられている、というような日本の新聞記事を読んだことがある。それが本当かどうかはわからないし、一部だけの話なのかもしれない。でも、もしそれが本当なら、いくら時が流れているとはいえ、こういう歌に抵抗を感じる人もいるだろう・・・ということは、少なからず想像していた。 たぶん、選曲の段階で反対意見はある程度あったに違いない。例え反対意見がなくとも、反感や抵抗感を抱く観客がいるだろうことは、容易に想像できただろう。でも、それでもブリュノはこの曲を選んだのだ。強い意志を持って。ブリュノの勇気にあらためて尊敬の念を抱いた。愛と平和をうたうのに、とてもふさわしい歌だよね、ブリュノ。 この夜、この歌の後にだけ泣いてしまった。 ■ ブリュノ・ペルティエへの道 そして、前夜と同じくブリュノは最後に「Adeste fideles」を歌った。La Presseの記事によればノエル・ソングとしては最も古い部類の13世紀の曲だそうだ。この夜、ブリュノは前夜に増して高らかに、力強く歌い上げた。なんてブリュノの声に合っているんだろう。この曲の作者は、21世紀にブリュノ・ペルティエという歌手が存在することをを予見して、この歌をブリュノのために書いたのではないか、そう思わせるほどのブリュノの歌だった。 ブリュノはアンコール曲Minuit Chretienも力強く歌い、そして再アンコールの時間になった。 「熱いなあ」と言って、ブリュノはロングジャケットを脱いだ。そして、指揮者シモンにも脱がせ、それからオーケストラのミュージシャンたちにも脱ぐように声をかけた。 再アンコールの曲は、この日は舞台でシモンとしばし相談。二人して観客に背を向け、ぴったりと体をくっつけて話し合っている。なんだかそのぴったりぶりがおかしい。 再アンコールは「Joyeux Noel」、そして「Miserere」、やっぱりね(笑)。 とても素敵に歌い終えた後、ブリュノはシモンの上着を彼に返却し、そして舞台を去っていった。 コンサートが終わっても、観客はしばらくみんな歓談していた。舞台ではもう撤収作業が始まっていたが、長らくブリュノがコンサート中に何度も飲んでいたミネラル・ウォーターがぽつんと残っていた。あ・・・ブリュノが飲んだお水(笑)。
このサイトを始めた時、サイト名は「ブリュノ・ペルティエへの道」だった。2年半、生でブリュノを見ることを夢見て、この道をたどってきた。そして、その道の先に、ブリュノがいた・・・。 ブリュノが歌い続ける限り、私の道は果てしなく続く。 [ページのトップへ戻る] |
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Bruno Pelletier Japon --- Bruno, Bleu, Basilique 6