〜ドラキュラ・リヨンレポート1〜
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[1] つながり |
■ 始まり もしあなたが一つの街に愛着を感じているとしたら、それはその街が生まれ故郷であったり、住んだことがあったり、あるいは好きな映画に出てきた街だったり、とにかく何がしかあなたと特別な縁があったからだろう。人は知らぬものを好きにはなれない。 その意味で、私にとってリヨンは縁の深い街といえる。なにしろ今までフランスに4度訪れた中で、行ったことがある都市はパリとリヨンだけなのだ。 元々ブリュノ・ペルティエを知ったのは、好きなスケーターがミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」の曲を使っていたからだが、そのスケーターの生まれ故郷並びに活動拠点がリヨンだった。それゆえにリヨンは私にとってフランスの最愛の街になったが、私とリヨンのつながりはそれだけのはずだった。 運命の糸の流れが少し変わったのは、おそらく初めてブリュノのコンサートに行った2002年末。 ブリュノの口から直接、その翌春のフランスでのコンサートの話を聞いた。ブリュノはフランスの都市名をいくつか挙げ、その中にリヨンの名もあった。 ・・・リヨン!!! 半年もたたないうちに海外へ再び行くというのは、私には簡単な決断ではない。けれど、そこにリヨンの名が挙がったことで、私の気持ちは大きく揺らいだ。リヨンには行ったことがある。そして、何より私の愛すべき街なのだ。そこへブリュノが行く・・・! 私はフランス行きを決めた。結果的にブリュノのコンサートはパリのみになったが、もしリヨンが最初にアナウンスされていなかったら、私はブリュノのパリのコンサートにも行く決心ができていなかっただろう。パリに行けたのは、リヨンのおかげなのだ。 まあまたいつかリヨンに来る機会もあるよね、ブリュノ。 パリで私は漠然とそう思っていた。遠い未来の夢として・・・。 |
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■ 二つの川 2006年、ブリュノは自らが立ち上げたミュージカル「ドラキュラ」をケベック各地で上演する。翌年、その「ドラキュラ」のフランス公演の予定がアナウンスされた。 2008年1月、リヨンにて。 ・・・再びリヨン!! 「ドラキュラ」は大好きなミュージカルだった。絶対もう一度見たいと思っていた。だから、公演地がどこであっても行っただろう。でも・・・それがリヨンなのだ・・・。 リヨンは2つの大きな川が中心部を流れている。川は好きだ。街に広がりと安らぎを与えてくれる。 リヨンの川はローヌ川とソーヌ川という名だ。名詞に男性形と女性形を持つフランス語では、ローヌは男性名詞で、ソーヌは女性名詞。リヨンで合流するこれらの川は、それゆえ時には詩などで「彼と彼女」が「リヨンで出会う」と比喩されもする。その「彼」をここでブリュノ・ペルティエと例えても誰も咎めたりはしないだろう。不思議な宿縁で結ばれた二つの川が逢瀬を果たす場所。 こうして私は再びリヨンにやってきた。 |
「二つの川が出会う街」1 | 「二つの川が出会う街」2 | |
再・聖地巡礼 |
「二つの川が出会う街 〜ドラキュラ・リヨンレポート〜」1 (Jan. 2008)