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      〜ドラキュラ・リヨンレポート1〜





   ブリュノ・ペルティエが主演・アーティスティック・ディレクターを務めるミュージカル「ドラキュラ〜愛と死のはざまで〜」は、カナダ・ケベック州で各都市を巡演し、フランスのリヨンへやってきた。

 リヨンはフランス第2の都市、美食と絹の街、ガリア時代から続く古い街。そして2008年1月、ここはドラキュラの街となった・・
・。


    [1] つながり 

■ 始まり

 もしあなたが一つの街に愛着を感じているとしたら、それはその街が生まれ故郷であったり、住んだことがあったり、あるいは好きな映画に出てきた街だったり、とにかく何がしかあなたと特別な縁があったからだろう。人は知らぬものを好きにはなれない。
 その意味で、私にとってリヨンは縁の深い街といえる。なにしろ今までフランスに4度訪れた中で、行ったことがある都市はパリとリヨンだけなのだ。

 元々ブリュノ・ペルティエを知ったのは、好きなスケーターがミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」の曲を使っていたからだが、そのスケーターの生まれ故郷並びに活動拠点がリヨンだった。それゆえにリヨンは私にとってフランスの最愛の街になったが、私とリヨンのつながりはそれだけのはずだった。

 運命の糸の流れが少し変わったのは、おそらく初めてブリュノのコンサートに行った2002年末。
 ブリュノの口から直接、その翌春のフランスでのコンサートの話を聞いた。ブリュノはフランスの都市名をいくつか挙げ、その中にリヨンの名もあった。

  ・・・リヨン!!!

 半年もたたないうちに海外へ再び行くというのは、私には簡単な決断ではない。けれど、そこにリヨンの名が挙がったことで、私の気持ちは大きく揺らいだ。リヨンには行ったことがある。そして、何より私の愛すべき街なのだ。そこへブリュノが行く・・・!

 私はフランス行きを決めた。結果的にブリュノのコンサートはパリのみになったが、もしリヨンが最初にアナウンスされていなかったら、私はブリュノのパリのコンサートにも行く決心ができていなかっただろう。パリに行けたのは、リヨンのおかげなのだ。

 まあまたいつかリヨンに来る機会もあるよね、ブリュノ。
 パリで私は漠然とそう思っていた。遠い未来の夢として・・・。



■ 二つの川 

 2006年、ブリュノは自らが立ち上げたミュージカル「ドラキュラ」をケベック各地で上演する。翌年、その「ドラキュラ」のフランス公演の予定がアナウンスされた。

 2008年1月、リヨンにて。

 ・・・再びリヨン!!

 「ドラキュラ」は大好きなミュージカルだった。絶対もう一度見たいと思っていた。だから、公演地がどこであっても行っただろう。でも・・・それがリヨンなのだ・・・。

 リヨンは2つの大きな川が中心部を流れている。川は好きだ。街に広がりと安らぎを与えてくれる。
 リヨンの川はローヌ川とソーヌ川という名だ。名詞に男性形と女性形を持つフランス語では、ローヌは男性名詞で、ソーヌは女性名詞。リヨンで合流するこれらの川は、それゆえ時には詩などで「彼と彼女」が「リヨンで出会う」と比喩されもする。その「彼」をここでブリュノ・ペルティエと例えても誰も咎めたりはしないだろう。不思議な宿縁で結ばれた二つの川が逢瀬を果たす場所。

 こうして私は再びリヨンにやってきた。



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「二つの川が出会う街 〜ドラキュラ・リヨンレポート〜」1 (Jan. 2008)

Bruno Pelletier Japan